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のび犬と鉄建工団
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Author:のび鉄
のび犬鉄道(略称のび鉄)は銚子・犬吠崎から横須賀市野比を結ぶ鉄道として計画されたとかそうでないとか・・・。
路線計画は立っては消え、立っては消え・・・お上からの免許剥奪も近い?

鉄道・模型の他、音楽・野球・車etc...適当にやってます。
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追憶、青森駅
駅舎、583系、青森ベイブリッジ・・・先日の東北一周旅行の記事を編集する際、掲載する画像を整理していると懐かしい記憶が蘇ってきます。
IMG_5416t.jpg
それは忘れ得ぬ17年前の記憶。



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1992年10月4日、この日から3泊4日で私の通う高校は函館・青森方面への修学旅行が予定されていました。
ところが同日、県の高校陸上の新人戦も開催されることとなった。
5月に3年生が引退し、2年生を中心とした新チームで臨む最初の公式戦、部員の総意は
「出場したい」

そこで考えたのが、
「大会終了後、飛行機にて直接函館へ飛ぶ」
と言うものでした。
というのも、修学旅行の初日の予定はほぼ東京から函館までの列車移動に費やされており、夜に合流できれば翌日からの行程に差し支えないのでした。

ところが、学校側からの返事は 「No」
当時の県立高校の修学旅行の規定として、航空機利用が禁止されていたのです。
(今でもこの規定ってあるんでしょうか?)
我々は何度か学校側と掛け合いましたが、色よい返事は聞かれず、いたずらに時間だけが過ぎていったのです。

ならば、夜行列車で追いかけて翌朝函館着、2日目は函館市内自由行動なのでそのまま観光して夕方に宿にて合流する案を提示しました。
これにも学校側は渋りました。
が、こちらの熱意も通じたのか、やっと了解を得ることができました。

この時点で修学旅行まで1週間を切っていたように記憶しています。

函館行きの夜行列車、「北斗星」はもちろん全便満席。
となると「はくつる」ですが、女性陣はレディースカーの寝台を確保できましたが、男性陣は~今では考えられないことですが~寝台が満席だったためグリーン車への乗車となりました。


そして当日、陸上の大会は好天にも恵まれてつつがなく終了。
もはや当時の記憶は曖昧なのですが、記念写真を撮っていることから女子の400mリレーはかなりいいとこまで行ったようです。(県大会出場だったか・・・?ちなみにこの大会は県の地区予選)

そして、数時間後の上野駅での再開を誓って、後輩からはお土産をねだられつつ各自家路につきました。

自宅にて夕食、そして風呂を浴びて上野駅へ向かいます。
日曜夜の上り列車はガランとしていてどこか寂しげ。
松戸で乗り換えるとき、ちょうど仲間(♀)と乗り合わせました。
彼女はお兄さんの引率付き・・・まぁJ磐線の評判はあまり良く無かったですからね(苦笑)

今、三十路過ぎのオッサンになって2人の子供を授かる身となってみて思い返すに、よく大人たちはこの旅を許可してくれたな、と思います。
高校生の男女8人が引率も無しで夜行列車で単独行動なわけですから、もし万が一何かあったら、責任問題になってきますよね。
そういった意味で、本当にいい経験をさせてもらった、当時の関係者の方々には改めて頭が下がる想いです。

集合場所は中央改札付近だったと記憶しています。
三々五々と仲間が集まってきます。
まだ列車はホームには着いていませんでしたが、やがてゆっくりとその巨体をくねらせながらホームへと入ってきました。

自分にとって初めての583系、夜行列車は2回目、残念ながらグリーン車なので寝台列車に乗ったとは言えないですね・・・。
初めて寝台列車に乗るのはさらに5年を待たなければいけませんが、それはまた別の話。


列車に乗り込みます。男性陣のグリーン車は6号車、女性陣のレディースカーは1号車、しかしそこは修学旅行のお約束、2号車のデッキまで歩いていって、遅くまでくだらない話で盛り上がってました。
夜も遅くなり、通りかかった車掌氏に「他のお客さんの迷惑になるから・・・」と注意を受けたところで解散。

グリーン車に戻ってもUNOで遊んだりして、乗り合わせた他の乗客の方々はさぞうるさいガキ共だと思われたことでしょう(苦笑)
そして夜は更けていきます。


翌朝、寒気を感じて目を覚まします。
外はもう明るくなっていましたが、車内の温度はかなり下がっているようです。
現在地は盛岡の辺りだったのでしょうか、それから数時間後、列車は青森駅へ到着します。
92青森583系はくつるst
初めて降りる本州最果ての地。
ホームに降り立つと首都圏とは明らかに違う温度、10月とは言え寒かったです。

乗り換え時間はあまり無かったのですが、見慣れぬ列車たちを目の前にして鉄としては撮らないわけにはいきません。
92青森キハ40st 92青森ED79海峡st 92青森オハフ50海峡st
側線には盛岡色のキハ40系列たちが休んでいました。
そして我々が乗る快速「海峡」。
編成が長く、前と後ろ両方撮るのは大変だったと思います。

そして、快速「海峡」はゆっくりと青森駅をあとにします。
すでに我々の心は、見果てぬ大地・北海道へ向いていました。
若かった当時の自分にとっては、青森はただの通過点でしかなかったと思います。
それでも、ホームに降りた時のあの寒さは一生忘れないだろうし、なにより旅行中でまともに鉄道の写真を撮れたのがこの青森駅だけだったので、余計に心に刻まれているかもしれません。

青函トンネルを抜け北海道へ・・・修学旅行はまだ始まったばかりですが、話が長くなったので続きはまた別の機会にしましょう。


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時計の針を現在に戻して、先日の旅行記で掲載しなかった写真を。
IMG_5419s.jpg
キハ40は当時と変わらぬ姿で活躍していました。
この写真もホームに列車が止まっているのが見えたから何となく撮影しただけですが、古い写真と見比べてその佇まいの変わらなさに驚きました。

IMG_5432s.jpg
転じてこちらは特急「つがる」。
「はつかり」の名も失われて久しいですね。
逆に名門列車「白鳥」「津軽」の名前がこのような形で復活するとは想像できなかったです。



え~、長~い前置きはここまでにして、やっと今日の本題です。
今度の週末に行われるCKCモデラーズクラブ新年会、プチイベントのお題として「交流区間を走行する(した)列車」を持ち寄ることになっています。
となればこれは当然、おもひでの詰まった青森駅を置いて他ならないでしょう。

そんな東北本線の名門列車2つ。
IMG_5532s.jpg
昔からのKATO製品ですが今見てもいい造形だと思います。
でも、ここに一筆加えましょう。

IMG_5533s.jpg
583系は床板から直接ボディが外せるタイプでしたが、485系は屋根板を最初に外すタイプ。
まるでパズルのような構成で、分解・組み立てには一苦労します。

当然、一筆加えたのはライトリムのシルバー。
IMG_5534s.jpg
・・・。
485の方はライト回りのモールド表現が強めなので、それに合わせて色を乗せたためかなりはっきりと効果がわかります。
が、583の方はモールドがかなり薄めで写真で見てもいまいち効果が分かりませんね・・・。

ともあれ、これで役者は揃いました。
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テーマ:鉄道模型 - ジャンル:趣味・実用

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