のび犬と鉄建工団
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のび犬鉄道(略称のび鉄)は銚子・犬吠崎から横須賀市野比を結ぶ鉄道として計画されたとかそうでないとか・・・。
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空色の疾風
1992年11月3日に東西線車輌を撮影したときのプリントを発掘してきました。
この日の本命は本当は東急目蒲線で、レイアウト製作の参考にするために、踏切がすぐ近くにあるような駅のモデルを探しに行ったのでした。
当時は小遣いにもかなり制限のある高校生という身分でしたから、なるべくお金はかけたくない。
となると、西船橋まで足を伸ばしている東西線と言う路線は非常に使い勝手がよったのです。

IMG_0001s.jpg5010他 原木中山

特に東京西側にある東急、小田急ともなればその接続駅まで270円(当時)でいけるのですから相当な節約になりました。
私は高校へは自転車で通っていたため定期券は持っていませんでした。
出かけるときは鎌ヶ谷駅でJRの連絡きっぷ「船橋から130円区間」を購入し、当時ノーラッチだった西船橋でそのまま東西線に乗り換えていました。

IMG_0003s_20120108213340.jpg5150他 浦安

当然降りる駅で清算となるわけですが、当時はまだ自動清算機など無かった頃、駅の窓口できっぷを差し出しても駅員氏に経路が分かるはずも無く、いちいち説明して運賃表とにらめっこと言うのが日常茶飯事でした。
いや、仮に自動清算機があっても東急や小田急の駅では東武の駅で発行された切符が受け付けられるとは思いませんが。

IMG_0004s_20120108213749.jpg5020他 浦安

この日は最終目的地を武蔵新田としながらも、各駅で降りては電車の写真を撮っていました。
5000系が好きだったにもかかわらず写真にはあまり収めていなかったのが理由で、綺麗に取れる駅を探しながら、と言う感じで進んでいたと記憶しています。

IMG_0000s.jpg5809他 葛西

まあ、写真の腕前はご覧の有様ですので見るに耐えないモノばかりですが、それでも今となっては撮っておいてよかったと思われるものばかりです。
ちゃんとアルミ車も1本撮っているあたり、なかなかツキも持ち合わせていたようです。

IMG_0002s_20120108214702.jpg5039他 葛西

当時は気付いていたか分かりませんが、改めて見てみると冷改車と非冷房車では帯の色に相当違いがあります。
光の加減なども若干影響していると思いますが、少なくとも同色ではないことはお分かりいただけると思います。

5000系は東西線生え抜き組、千代田線からの編入組、7連から10連に増車した際に増備された組があり、さらに7連を組み替えて10連にした際に大幅な編成入れ替え、そして冷改、更新が車両単位で行われたためにその編成バリエーションはカオスの一言に尽きます。
その辺の資料を一纏めにした本でも出版されれば間違いなく飛びつくと思います。模型を作るかどうかは別として。

最後に、5000系のデザインについて少し。
窓下でヘッドライトとテールライトが横並びになる配置、ライトケースの形状は様々あれどこれを日本の一般型車両で採用したのはこの5000系が最初じゃないかと思うのです。(特急形では前年に登場した小田急3100形)
同世代全ての車両を調べていないのですが、通勤電車はオデコライトが主流で、私鉄では窓下に縦並びが一部で採用されていたという情勢だったはずです。
この横並びライトはその後大阪市交通局7000形(1967年)、東京都交通局6000系(1968年)と続きますが、大ヒットとなるのは1972年登場の小田急9000形を待たなければなりません。
主流のデザインにはなれなかった5000系ですが、オンリーワンのカッコよさがある。
そんな5000系が今でも好きです。
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テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

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