のび犬と鉄建工団
鉄道、模型、その他日々の雑感などとりとめなく・・・。
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Author:のび鉄
のび犬鉄道(略称のび鉄)は銚子・犬吠崎から横須賀市野比を結ぶ鉄道として計画されたとかそうでないとか・・・。
路線計画は立っては消え、立っては消え・・・お上からの免許剥奪も近い?

鉄道・模型の他、音楽・野球・車etc...適当にやってます。
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最近の予定品から
このところ、各鉄道模型メーカーから購買意欲をそそる新製品予告が立て続けに発表され喜んでいいのか悪いのか…。
そんな中でも私のストライクゾーンど真ん中に投げ込んでくるアイテムがイカの3つ。
アルバムや古い画像データを探って、模型化の当該ナンバーの写真を見つけてまいりました。

東武9000型 量産車(未修繕車)
SCN_0021s.jpg
2005年6月5日 和光市~朝霞
私にとって待望の未修繕車、やはり9000型は黄色い方向幕の「新木場」行きですよね。
模型化されるのは銀色ワイパー、弱冷房車設定前ということで90年代前半の時代設定ですね。
相方の営団7000系は非冷房のほうが似合いそうです。持ってないけど。
ちなみに発売済みのリニューアル車の出来はいまいちなので今回の出来もあまり期待しておりませぬ。

京成3600形 新塗装
IMG_0193s.jpg
2007年2月24日 船橋競馬場
東武9000型の1年後輩、オールステンレス・界磁チョッパ制御と何かと共通点の多い形式です。
先頭Tc故に京急線への乗り入れが出来ないので比較的地味な存在に見られがちな車両ですが、生粋の京成っ子の私としてはやはり「待ってた」形式なわけです。
種別幕は現行の赤、ピンク、黒の地色に白文字のバージョンでしょうねえ。
私は白地に各種別の色文字時代、さらに言うならローマ字表記が無い時代が好きです。
いずれバリ展で登場時のオレンジ帯が出てくれたらいいな、などと思っております。
しかし、今度出る都営10-000型の出来を見ると予約しようかどうか迷ってしまいます。

福井鉄道200形
IMG_1846s.jpg
2010年2月26日 市役所前~福井駅前
こんなカッコイイ路面電車が他にあるか?いや無い。
それ位好き。
新塗装の202と、非冷房時代の201ということですが、両者ニコイチにして冷房201を仕立てたくなってしまいますね。
余った車体は急行塗装に塗り替えるなど妄想は膨らみますがそこまでやるかは未定です。


このほかにも20系殿様あさかぜや24系さよなら北斗星などなど、年末年始にかけて魅惑のアイテムが次から次へと…。

テーマ:鉄道模型 - ジャンル:趣味・実用

食堂車の記憶
突然ですが、私は営業している食堂車を5列車延べ7回利用したことがあります。

新しい順に申しますと
2015年8月上りカシオペア(夕) ※参照記事
2012年8月上り北斗星(夕、朝) ※参照記事
2000年9月北斗星1号(夕、朝) ※新婚旅行
1999年8月上りひかり(グランドひかり)(夕) ※斜め向かいの席でラモス瑠偉がカレーを食べていたというネタにしか聞こえないサプライズ有り
そして
1979年下りいなほ(昼)
SCN_0020s.jpg
まだピカピカの485系の車体もまぶしい上野駅でのスナップ。
しかし私が乗車した証拠写真としてはあまりにも根拠が薄く、写っている人物は従兄弟、叔母、叔母の義母という3ショット。
茶色い半ズボンを履いていた記憶のある私は、手前の少年がずっと自分だと思っていたのですが、よく見ると自分の顔ではないというオチ。
半ズボンはお下がりでもらったものという記憶もおぼろげながらあります。
しかしながら、「いなほ」で下って新発田のお墓をお参りして、泊まったかどうかの記憶は無いのですが復路は「とき」に乗ったという記憶はしっかり残っているのです。
無論食堂車の記憶も。
グランドひかりにしても、ラモスの件は置いておいても車内の写真くらいは記録しておくべきだったと今更ながらに思います。
当時はフィルムのコマ数を気にしながらだったので無理だったかとは思いますが…。
記憶<記録
某氏の撮影した写真の角度にあまりにも見覚えがあるので、古いアルバムを探ってみました。
IMG0000s_20150705000750eb4.jpg
1991年8月30日 上野
EF62を先頭にした急行「能登」とEF65PF牽引、急行「八甲田」です。
私は後ろのPFはずっと八甲田だと信じて疑わなかったのですが、某氏の写真ではほぼ同様の画角でカン付きの「あけぼの」が13番線に写っていたため、その記憶に揺らぎが生じていたのです。

しかし、このPFが八甲田を牽いていたという決定的証拠を当時の私は撮影しておりました。
IMG_0001s_20150705000749386.jpg
同じく13番の尾久寄りに連結されたマニ50MOTOトレイン。
これこそ八甲田の紛れも無い証。
私の記憶が間違っていなかったことに安堵し、また記録の大切さを思い知らされた一件でした。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

ローズの思い出
やはりローズと聞いてまず思い浮かぶのは2001年近鉄いてまえ打線の中核を担ったタフィ・ローズ。
当時シーズン最多タイの55本塁打を放って近鉄をリーグ優勝に導き、その後も巨人、オリックスと長く活躍した。
そして1998年横浜マシンガン打線で4番を任されベイスターズを日本一に導き、翌年にはシーズン記録2位となる153打点を叩き出したロバート・ローズ。
いずれも記録にも記憶にも残るレジェンドクラスの助っ人外国人ですね。


で は な く て …

幼少期、親に都心方面へと連れて行ってもらった帰りに総武快速線に乗れば、新小岩駅を出てしばらくすると操車場をまたぐ形で高架線へと列車は進んでいく。
眼下に見下ろす操車場には当時まだコンテナ列車の姿は少なく、タンク車やワムハチが主役でした。
傍らに控える機関車はEF65やDD51のほかに、たいていの場合ローズピンクのEF81ないしEF80が1~2両おりました。
当時はハチマルもパーイチも区別が付いていなかったのでローズピンクであれば全てパーイチだと思っていました。
当時は鉄道の写真を撮るという習慣がなかったので、これらのことはずべて記憶の中にのみ残っております。

かたや、記録に残したローズピンクと言えばというと

SCN_0018s.jpg
1997年2月 高岡 EF81-124
学生時代に北陸三県をワイド周遊券で行ったり来たりしたときの一枚。
高岡駅氷見線の櫛型ホーム、各ホーム間にある待避線、併設された車両基地などなど…いかにも国鉄幹線の主要駅といった雰囲気に満ちておりました。
そして在来線特急が1時間に4~5本往来する特急街道、それも過去帳入りしてしまいました。
今は駅の様子もすっかり変わったようですね。

SCN_0017s.jpg
1998年3月 下関 EF81-410
大学卒業直前、九州旅行に行ったときの往路。右に写っているのは24系「はやぶさ」。
24系による単独編成の最末期のころです。
すでに食堂車は連結されなくなっていましたが正調24系25型銀帯に統一された編成美は健在でした。

SCN_0019s.jpg
2006年8月12日 岸辺 EF81-46
家族で大阪に旅行したときに撮った一枚。
この後も関西や北陸に行くたびに何度か「日本海」には遭遇しているのですが、まともに撮影したのはこれが最初で最後です。

IMG_1207s_20150414000708841.jpg
2007年5月5日 下関 FE81-411(再掲)
家族で九州旅行に行ったときの一枚。
被牽引車はもちろん「富士・はやぶさ」。

IMG_2016s.jpg
2010年2月26日 金沢 EF81-107(再掲)
北陸一人旅のときの撮影。
「北陸」「能登」廃止直前で撮影者が多すぎてこんな写真しか撮れませんでした。
というかブルトレがらみが大多数を占めているのはいかにも自分らしいと感じました。

実家が常磐線からも程近いエリアだったこともあり、パーイチは日常的に接していた時期もあるくらい身近な機関車でしたが、いざローズピンクの記録となると意外と少ないことを思い知らされました。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

Memories Of Blue
SCN_0014s.jpg
2000年9月11日 上野 EF81 95

SCN_0015s.jpg
2000年9月11日 オロネ25 551車内

SCN_0016s.jpg
2000年9月12日 函館 DD51 1068

IMG_2626s.jpg
2012年8月16日 札幌 DD51 1083

IMG_2695s_2015010821085344f.jpg
2012年8月17日 上野 EF510 515
参照記事:北の大地へ(3日目~4日目)


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