のび犬と鉄建工団
鉄道、模型、その他日々の雑感などとりとめなく・・・。
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のび犬鉄道(略称のび鉄)は銚子・犬吠崎から横須賀市野比を結ぶ鉄道として計画されたとかそうでないとか・・・。
路線計画は立っては消え、立っては消え・・・お上からの免許剥奪も近い?

鉄道・模型の他、音楽・野球・車etc...適当にやってます。
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食堂車の記憶
突然ですが、私は営業している食堂車を5列車延べ7回利用したことがあります。

新しい順に申しますと
2015年8月上りカシオペア(夕) ※参照記事
2012年8月上り北斗星(夕、朝) ※参照記事
2000年9月北斗星1号(夕、朝) ※新婚旅行
1999年8月上りひかり(グランドひかり)(夕) ※斜め向かいの席でラモス瑠偉がカレーを食べていたというネタにしか聞こえないサプライズ有り
そして
1979年下りいなほ(昼)
SCN_0020s.jpg
まだピカピカの485系の車体もまぶしい上野駅でのスナップ。
しかし私が乗車した証拠写真としてはあまりにも根拠が薄く、写っている人物は従兄弟、叔母、叔母の義母という3ショット。
茶色い半ズボンを履いていた記憶のある私は、手前の少年がずっと自分だと思っていたのですが、よく見ると自分の顔ではないというオチ。
半ズボンはお下がりでもらったものという記憶もおぼろげながらあります。
しかしながら、「いなほ」で下って新発田のお墓をお参りして、泊まったかどうかの記憶は無いのですが復路は「とき」に乗ったという記憶はしっかり残っているのです。
無論食堂車の記憶も。
グランドひかりにしても、ラモスの件は置いておいても車内の写真くらいは記録しておくべきだったと今更ながらに思います。
当時はフィルムのコマ数を気にしながらだったので無理だったかとは思いますが…。
記憶<記録
某氏の撮影した写真の角度にあまりにも見覚えがあるので、古いアルバムを探ってみました。
IMG0000s_20150705000750eb4.jpg
1991年8月30日 上野
EF62を先頭にした急行「能登」とEF65PF牽引、急行「八甲田」です。
私は後ろのPFはずっと八甲田だと信じて疑わなかったのですが、某氏の写真ではほぼ同様の画角でカン付きの「あけぼの」が13番線に写っていたため、その記憶に揺らぎが生じていたのです。

しかし、このPFが八甲田を牽いていたという決定的証拠を当時の私は撮影しておりました。
IMG_0001s_20150705000749386.jpg
同じく13番の尾久寄りに連結されたマニ50MOTOトレイン。
これこそ八甲田の紛れも無い証。
私の記憶が間違っていなかったことに安堵し、また記録の大切さを思い知らされた一件でした。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

ローズの思い出
やはりローズと聞いてまず思い浮かぶのは2001年近鉄いてまえ打線の中核を担ったタフィ・ローズ。
当時シーズン最多タイの55本塁打を放って近鉄をリーグ優勝に導き、その後も巨人、オリックスと長く活躍した。
そして1998年横浜マシンガン打線で4番を任されベイスターズを日本一に導き、翌年にはシーズン記録2位となる153打点を叩き出したロバート・ローズ。
いずれも記録にも記憶にも残るレジェンドクラスの助っ人外国人ですね。


で は な く て …

幼少期、親に都心方面へと連れて行ってもらった帰りに総武快速線に乗れば、新小岩駅を出てしばらくすると操車場をまたぐ形で高架線へと列車は進んでいく。
眼下に見下ろす操車場には当時まだコンテナ列車の姿は少なく、タンク車やワムハチが主役でした。
傍らに控える機関車はEF65やDD51のほかに、たいていの場合ローズピンクのEF81ないしEF80が1~2両おりました。
当時はハチマルもパーイチも区別が付いていなかったのでローズピンクであれば全てパーイチだと思っていました。
当時は鉄道の写真を撮るという習慣がなかったので、これらのことはずべて記憶の中にのみ残っております。

かたや、記録に残したローズピンクと言えばというと

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1997年2月 高岡 EF81-124
学生時代に北陸三県をワイド周遊券で行ったり来たりしたときの一枚。
高岡駅氷見線の櫛型ホーム、各ホーム間にある待避線、併設された車両基地などなど…いかにも国鉄幹線の主要駅といった雰囲気に満ちておりました。
そして在来線特急が1時間に4~5本往来する特急街道、それも過去帳入りしてしまいました。
今は駅の様子もすっかり変わったようですね。

SCN_0017s.jpg
1998年3月 下関 EF81-410
大学卒業直前、九州旅行に行ったときの往路。右に写っているのは24系「はやぶさ」。
24系による単独編成の最末期のころです。
すでに食堂車は連結されなくなっていましたが正調24系25型銀帯に統一された編成美は健在でした。

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2006年8月12日 岸辺 EF81-46
家族で大阪に旅行したときに撮った一枚。
この後も関西や北陸に行くたびに何度か「日本海」には遭遇しているのですが、まともに撮影したのはこれが最初で最後です。

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2007年5月5日 下関 FE81-411(再掲)
家族で九州旅行に行ったときの一枚。
被牽引車はもちろん「富士・はやぶさ」。

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2010年2月26日 金沢 EF81-107(再掲)
北陸一人旅のときの撮影。
「北陸」「能登」廃止直前で撮影者が多すぎてこんな写真しか撮れませんでした。
というかブルトレがらみが大多数を占めているのはいかにも自分らしいと感じました。

実家が常磐線からも程近いエリアだったこともあり、パーイチは日常的に接していた時期もあるくらい身近な機関車でしたが、いざローズピンクの記録となると意外と少ないことを思い知らされました。

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

Memories Of Blue
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2000年9月11日 上野 EF81 95

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2000年9月11日 オロネ25 551車内

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2000年9月12日 函館 DD51 1068

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2012年8月16日 札幌 DD51 1083

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2012年8月17日 上野 EF510 515
参照記事:北の大地へ(3日目~4日目)
華やいだ祭りの後
2004年10月16日 野田市にて
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私にとって慣れ親しんだ野田線、毎日の足だった5000系列。
その最期を看取らないわけが無い。
2日間に渡るこのイベント、初日は臨時列車への乗車を果たし、2日目は沿線での撮影と2度楽しませていただきました。
2日目に撮った動画はビデオカメラが壊れてしまって我が家には再生機器が無い状態…。

2004年10月16日 野田市にて
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考えることは皆同じなようで…。


1997年9月30日 横川~熊ノ平(信)にて
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当時、鉄道に興味を持つ知り合いが回りにいなかったこともあり、一億総鉄チャンというイメージは微塵たりとも思っていませんでした。
それでも一般レベルまで鉄道趣味が広がってきた最初の事件がこの横軽廃止だと思います。
私の中での「一億総鉄チャン」現象は、2007年の鉄道博物館開館がピークだと思っています。


2004年11月 鉢形~玉淀にて
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東上線随一の名勝、玉淀にて8108Fを捕らえたときの写真です。
今年5月の東上線開業100周年イベントに関連して、81111F(8111Fじゃないですよ)がセイジクリーム塗装を纏うことが公式発表されていますが、如何せん修繕車ゆえにどういった姿になるのか戦々恐々の日々です。
が、ここで顔が写らないようにサイドビューを狙えばあの日の東上線が蘇る…などと皮算用しているわけです。

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